じにつくす’s blog

単にいろいろ書きます。

映画バービーを見た男がマンスプレイニングする話

ネットで「実はアンチフェミニズム映画だった!」とかアメリカの保守層が泣いた!」と話題になっていた映画バービーを見てきました。ミーハーでネットに流されてて情けない……

以下映画内容についてマンスプレイニングが続きます。

 

というわけで映画を見てきたのですが……すごい映画でした。その…すごくすごいです。単なるフェミニズム映画ではなくいくつものテーマが隠されているような…

人によっていろんな見方ができてしまう、させられてしまう、そんな映画です。

 

そもそも平成世代の日本人の僕からするとバービーとフェミニズムの関連性がイマイチビンと来ていませんでした。なので映画鑑賞の前になぜバービーがフェミニズムに結びつくのか少し勉強しました。

バービーが発売された1950年代当時、それまでお人形遊びと言えば赤ちゃんの子守をするのが主流で、バービーのようなセクシーな女性にセクシーな衣装を着せる遊びはなかったそうです。

女性は子守をしろ、はしたない格好をするな、という風潮がありました。

そんな時代に大人の女性を着せ替える遊びが登場し少女たちが夢中になっていきます。

バービーを通じて自由な服装を楽しみ、様々な職業に憧れる………まさに女性の解放、フェミニズムだったらしい、だからバービーがフェミニズムの象徴の1つなのだと。

 

この映画の冒頭は巨大なバービー人形(に扮するマーゴット・ロビーですが)を目にした少女たちが、それまで遊んでいた赤ちゃんの人形を破壊する、というシーンから始まります。

これは「2001年宇宙の旅」という映画の、猿が巨大なモノリスに触れて知恵をつけた(道具を使うことを覚えただったかな?)というシーンのパロディだそうです。

バービーを見て少女たちが目覚めた、ということでしょうか。

 

 

  • バービーランドは現実とは逆の女性優位社会

バービーランドは女性中心の世界、大統領は女性で裁判官も女性でゴミ収集作業員も女性で医者も女性で工事現場で働くのも女性です。

「女性は感情的になりながらでも論理的に話すことができる」のです。

そしてケンは「ただビーチにいる男、恋人でもなくよくわからない存在」でしかなく、何の職業をしているわけでもなく自分の家すら出てきません。

バービーランドでは毎日毎晩"ガールズ"ナイトをしていてケンは疎外感を感じてしまいます。視聴者からするとケンがかわいそうに見えました。

これが現実世界との対比になっているらしい。アダムがバービー、そしてそのアダムから生まれたものがケン、イブになっていると。

ここで感じるケンの疎外感、そして自分は何者でもなくアイデンティティのない存在、「バービー"&ケン"」でしかない。

ケンをかわいそうと思ったそこの男性諸君、これが現実の女性たちが男社会で感じていたことですよ、というメッセージでしょう。

 

そんな世界の中主人公である"定番バービー"は死について一瞬考えるようになります、死について考えたことは?と聞くと周りのみんなは青ざめた顔。

次の日にはつま先立ちの足ではなく平らな足になってしまいました。平らな足を見て周りのバービーたちは悲鳴をあげケンたちも「オエッ」とします。

それを直すには医者バービーではなく"ヘンテコバービー"のところへ行けと周りに言われ、定番バービーはヘンテコバービーのところへ行きます。

ヘンテコバービーは雑に扱われたバービー人形がモチーフ、開脚状態になって雑なメイクをさせられています。

ヘンテコバービーは言いました。「現実世界の定番バービーの持ち主に異変が起き、それがバービーランドの定番バービーに影響を及ぼしているので、現実世界に行ってそれを調査せよ」

という流れでバービーは現実世界へ冒険していくことになる(定番ケンも勝手についてきます)。これが映画バービーの大筋のストーリーとなります。

 

物語の序盤バービーランドの描写だけでも「何か深い意味があるんじゃないか」と考察してしまうような描写がたくさんありました。

まずいきなり「妊婦の人形ミッジ」が紹介されます。「廃番になった」とも付け加えられていました。

冒頭で赤ちゃんの人形をぶっ壊すシーンがありながら廃番になった妊婦のバービーの紹介………うーん………

またバービーランドは女性優位社会として描かれておりケンが疎外されている、というのはどうなんだろう。

バービーランドは男社会の逆というのは題材としては面白いが、フェミニズムは男社会の裏返しでしかないと言っているようにも見えるわけで…

そしてバービーランドには様々な職業、様々な肌の色のバービーがいて車椅子のバービーだっている多様性が実現された社会なのに、

定番バービーがつま先立ちができなくなるだけで周りに恐ろしいものを見るような目で見られる、というのも気になりました。

(妊婦のバービーが若干仲間外れ気味なのもちょっと気になる…のだが廃番になったバービーはどの種類もそんな扱いなので妊婦に深い意味はないかもしれない)

 

バービーランドの本質が何なのかはよくわからないとしても、バービーランドはフェミニズムの理想郷としては描いていないというのは確かだと思います。

ちょっとディストピアな世界という感じで物語は進行していきます。

 

………実はもう一つ気になったことがあり、それは上にも書きましたが、判事のバービーが「女性は感情的になりながらでも論理的に話すことができる」とわざわざ言ったことです。

これは僕が当てつけのように書いたものではなく、実際に映画に登場するセリフなのでした。

普通に見ると「男は"女性は感情的で論理的ではない"と差別してくるよね」といった感じのセリフに見えるのですが、それにしてもわざとらしくて逆にバカにしているように見えるんです。

こういうのって映画という物語の中ではセリフではなく行動で「どうだ違うだろう」と示すのが普通じゃないですか。口で「論理的になれる」と言われても………ねぇ?

 

 

  • 聖書が元ネタという洋画あるある

理想郷から人間界に行く、というシナリオはまあ洋画では定番で聖書が元ネタだそうですね。細かい内容は様々ですがピノキオとかマトリックスとかたくさん。

バービーは聖書の中の"失楽園"(アダムとイブが禁断の果実を食べたことで楽園から追放されて今日の我々のような"人間"になる的なお話、よく知らないけど聞いたことはある)が元ネタになっていて、いくつものシーンでそれが引用されている……らしい。

 

バービーが現実世界に来た直後、現実世界の男たちからいやらしい目で見られ、バービーランドではあり得なかった状況にバービーは恥ずかしいと感じるシーンがあります。

素直に受け取ると女性は歩くだけで男たちからセクハラを受けるという現実社会への批判に見えますが、失楽園「禁断の果実を食べたことで裸でいるのが恥ずかしくなる」の引用にも思えます。

これを踏まえるとこのシーンは「現実世界の男の女性へのセクハラ」だけでなく、「バービー本人の心境に変化が生じた」とも受け取れるんですよね。

作者が表現したかったのは前者か後者か、あるいは両方か。本当のところはわかりません。そうなんじゃない?と考察、ではなく妄想するしかないです。

個人的にはこの場面は無難に両方ともの意味があり、まあ深く考えるシーンでもないような気もします。

多分他にもこういう演出があるんだろうと思います。自分にはこういう教養は全然無いので気づけないことばかりな気がする。

 

でもこういう演出が一部アメリカの保守層へウケたんじゃないかなぁと思いましたよね。この後の展開も踏まえるとなんとなくわかる気がする。

一部のメディアでは保守層へのガス抜きとの見方もありました、まあ大ヒットさせるには一部の思想に偏らせちゃダメだからね。

こんな感じで複数の解釈が可能な描写がいくつもあるのが映画バービーです。

 

 

  • 工事現場からガールズパワーをもらう!!

男たちの視線や行動を不快に思ったバービーはガールズパワーをもらおうと工事現場に行きます。

バービーランドでは働いているのは全て女性なので労働現場には女性がたくさんいると思ったのでしょう。

しかし当然現実世界のそこにはオッサンしかいません。そこでまたオッサンたちからセクハラを受けますが、バービーは「私にもケンにも性器はない」と言い返します。人形には何もありませんから。

 

……この場面にはしれっとフェミニズムへの皮肉が込められているでしょ。

フェミニストは男女比に偏りがある場合男女平等の意識が低いと言いますが、工事現場に対してそれを言うことはないです。

でもバービーは工事現場に女性がいないことに驚きます。

フェミニストたちは企業の男女比に物申すけど、こういう仕事に対しては何も言わない、男がやるものだと思ってるよね?」というのはアンチフェミニズムの代表的な主張ですが、

まさかフェミニズムの象徴たるバービーでこんな皮肉を込めたシーンをやるとは驚きです。映画館で「これアンチフェミニストがよく言ってるやつやん!」って叫びそうになりました。

 

  • 仕事をくれと言っても門前払いされるケン

バービーは警察官にセクハラを受けたりしながらバービーの現実世界での持ち主を探すことになりますが、ケンは「今何時ですか?」と話しかけられたことに感動します。

バービーランドではそんな丁寧に話しかけられたことなんてなかったのに、この世界では自分が、男が尊重されていると。この世界は男社会なんだ!と目覚めます。

男が尊重されるなら簡単に高収入な仕事につけるだろうとケンは就活をしますが、資格は?博士号は?と聞かれ追い払われてしまいます。

また、それならビーチで仕事をしようとしますが、安全な場所ではなく危険のありそうなところを見回ってくれと言われます。

しかしケンは「安全なところで仕事がしたい」と言い、それなら要らないと追い返されます。 

 

……これもアンチフェミニズムが言ってるやつやん!!と思いましたね。

男だから簡単に高収入になれるわけじゃない」と「女性は危険な現場仕事をしたがらない」ってやつです。

前者だけならまだ自然ですが後者まで盛り込んでくるのは意図的に風刺をしているのではないかと思います。意図していないんだとしたらこのシーンは必要ありませんから。

 

 

  • 史実ネタやパロディ盛りだくさんでわからない!

定番バービーはセクハラを受けながらもベンチに座り人形の持ち主について考えるのですが、そこで隣りに座った老婆を「美しい」と言います。

老婆は笑顔で「知ってる」と返答。バービーが老いを美しいと感じているという描写です。他にもバービーが現実世界を見て涙を流すなど心境の変化が描かれています。

そしてバービーは瞑想をすると自身の人形の持ち主(の娘)と思われる女の子のビジョンが。(母娘でバービー人形を遊ぶ母のほうの視点から娘を見ていたビジョンを見たようです)

そのビジョンに映った学校を頼りに女の子を探し出します。

その持ち主はヒスパニック系っぽい女優が演じるサーシャという名前の娘でした。

バービーはその子にあなたが人形の持ち主でしょう?私は女の子憧れのバービー人形!と自己紹介をすると、

サーシャは「バービー人形は理想の女性像を押し付けフェミニズムを後退させたファシスト!」とめちゃくちゃに批判します。

この場面、後々の展開を見るとサーシャは母親とは上手くいっていないちょっと反抗期のようで、母親がバービー人形の会社マテル社に勤めており、母親に対する反抗の意味も込められていたと物語の中では解釈できます

ただこの指摘はフェミニズムの移り変わりを示しています。

女性は慎ましく子守をせよのアンチテーゼから生まれたバービー人形も昔の話、少なくとも今のアメリカでは女性が派手な服を着ることは珍しくなくなりました。

今やバービー人形は完璧すぎる理想の顔や体型を押し付けるルッキズムであると批判されることもあります。今の世代のそんな指摘をサーシャに代弁させたのでしょう。

 

ちなみにサーシャというのはバービー人形のライバルで大ヒットしたブラッツ人形の名前です。映画のサーシャの周りにいた友達の容姿と名前もそのブラッツ人形が元ネタになっています。

バービー人形とブラッツ人形……簡単に言えばパワプロウマ娘の関係です。

映画の登場人物にそんな人形の名前を使いながらバービー批判をさせる………なかなかブラックな光景ですよね(笑)

映画を見ている時はサーシャの名前の元ネタなんて知りませんでしたから後から調べてびっくりしました。

やはりこの映画には昔のクレヨンしんちゃんのようなかなり黒い部分があると思います。

 

バービーを作った会社マテル社では重役会議(全員男)でバービーランドから逃走した定番バービーを捕まえなければならないと動き始めます。

マテル社では重役秘書として働く女性がいて、「死を考えるバービー、老いて脚にセルライトができるバービー」を考え紙に描いていました。

この女性が定番バービーの持ち主であるグロリアです。(グロリアの名前は劇中ではわからず後から調べたらそのような設定でした)

仕事も子育ても上手く行かなくてちょっと憂鬱になりながら書いたこのバービーの絵がバービーランドの定番バービーに影響を及ぼしていたことがわかります。

 

サーシャに打ちのめされた定番バービーはマテル社に見つかり連れていかれ、マテル社の重役(全員男)たちにバービーランドに帰れ(バービー人形のパッケージに入れ)と言われます。

(よく覚えてないんだけど、この帰り方をすると人間界のことを忘れ全て元通りになるんだっけ?)

バービーは躊躇いこれを拒否、ここからバービーがマテル社から逃走。持ち主のグロリアに保護され逃走します。

その後グロリアとサーシャと共にバービーは来た道を自分の脚で戻りバービーランドを目指していきます。

バービーが簡単に逃げられたのはマテル社の重役たちがかなり鈍臭いことが理由です。

会社からゲートを出るのに社員証を必死で探したり(バービーはゲートを飛び越えました)、バービーランドに行くために全員分のローラーブレードを探したり………

男社会ってめんどくさいねという風刺ですね。この部分は僕も面白い描写だと感じました。

 

バービーランドを目指す前にサーシャは「パパは置いていくの?」と言いますがグロリアは「パパなら大丈夫」、その後サーシャも「まあいいか」と。

パパは家でスペイン語の勉強中。。。見た感じ冴えないおじさんです。。。

 

というのが現実世界の流れなのですが、サーシャの名前以外にもたくさんの引用や映画のパロディが盛り込まれていました。

が、僕は映画に明るくないのでパロディ元はせいぜいマトリックスくらいしかわからず、そのマトリックスも聖書元ネタなので元ネタがマトリックスなのか聖書なのかもわからず……

マテル社からバービーが逃げる場面も何かの映画のパロディなんですけどサッパリわかりませんでした。日本ではあまりメジャーではない映画のパロディばかり、アメリカ人ならわかるのかな?

 

  • これはポリコレ違反では???

バービーランドに帰ると、一足先に帰った定番ケンが現実世界から男社会の良さを持ち帰って広めていて、バービーランドは一気に男社会に。

バービーたちは男社会に洗脳されバービーランドはケンダム(Kendom)へと変わってしまっていました。

ケンは現実世界を男が支配しているのは男社会(と馬)が鍵だと考えました。

馬???と映画を見ていた時にはピンと来ませんでしたが、ヨーロッパ人がアメリカ先住民に勝てた理由の1つに馬を持っていたからというのがあるそうです。

また、バービーランドで瞬く間に男社会が広まった理由についてグロリア(ヒスパニック系の人です)が、「天然痘に免疫がなかった先住民のよう」と発言するので馬の元ネタとも合致します。

(その後定番バービーがバービーランドを取り戻すべく立ち上がった時にサーシャが白人の救世主!とも言います)

……いやこれ余裕でポリコレ違反でしょ

思い返せば日本ではバービーが原爆を揶揄し炎上したことがありましたね。フェミニズム!ポリコレ万歳!!とか言っておいてこれか???と。

ただこの映画、蓋を開けてみるとポリコレ万歳とかそういう映画じゃなくてアメリカ風ブラックジョーク満載の映画だったんですよね。

アメリカ人って9.11すら笑いにするくらい不謹慎な人たちではあるので、ポリコレ万歳でなくてそういう人たちなら日本人も「ハワイを×××」みたいなジョークで返すのがよかったのかもしれませんね。

とは言えまたこのシーンはだいぶグロテスクに映ります。ヒスパニック系に言わせているので。でもこの映画はもしかしたら裏の裏の解釈があるかもしれないと思わせてくる……

 

 

  • ケンもケンでどこか浮かない顔……

男社会を広めたケンダムではバービーたちは大統領をやめて男たちに飲み物を配ったりしています。このほうが楽しい!と。

ケンダムは国境に壁の建設もしています。前アメリカ大統領が元ネタでしょうか。

バービーたちの家を奪いバービーの服を放り投げ、そしてバービーに一言、「これが楽しいか?」と。

ケンはこれまでバービーランドで感じていた疎外感を伝えたかったのでしょう。どこか浮かない顔です。

バービーランドもケンダムも変わらない、過激なフェミニズムも男社会も変わらない、そんなことを言いたいような。

 

  • マンスプレイニングせずにはいられない映画でマンスプレイニングを批判

行き場を失ったバービーとグロリアサーシャはヘンテコバービーの元に行きます。ヘンテコバービーの元には廃番になってしまったバービーやケンがいました。

シュガーダディケン」というオジサンのケン(シュガーダディパパ活で買う側の人のことを指します)、またイヤリングマジックケン(ネックレスのリングがコックリングの揶揄であると批判された)もいたり………

他にもテレビを背中につけたバービーとか胸がデカくなるスキッパーとか個性的すぎて廃番になった人形たちが登場します。

 

この後憲法改正国民投票があり、このままではバービーランドは完全にケンダムへと変わってしまいます。

そんな中でバービーは自分にはなんの取り柄もない賢くもない定番バービーなんだ…と酷く落ち込みます。(「マーゴット・ロビーが言っても説得力がない」と謎のナレーション付き)

しかしそんなバービーを立ち上がらせたのはバービーの持ち主、グロリアの現実世界の男社会における女性の生きづらさについての演説でした。

女でいるってホントに大変

常にステキじゃないといけない

お金は持つべき でもガツガツしちゃダメ

偉くなれ 偉ぶるな

母親業は楽しめ でも子供の自慢はダメ

キャリアは持て でも周りの世話もしろ

美しくいろ でもやりすぎるな

現実世界の男社会での女性の生きづらさを知って定番バービーは立ち上がり、洗脳されていない残りのバービーたちと共にケンに洗脳されたバービーたちの洗脳を解きにいきます。

 

その方法は「フォトショップのやり方がわからないのぉ〜」ゴッドファーザーについて教えて〜」「ゴルフのやり方を教えて〜」などと近づきケンにマンスプレイニングをさせる、

その隙に一緒にいるバービーを連れ出し先程のグロリアの演説を聞かせて洗脳を解く、というもの。

 

このシーン、ケンたちがマンスプレイニングするところが男あるあるすぎて面白いんですが、この映画もまた元ネタやパロディがいろいろあり解説したくなるというのがさらに笑いを誘います。

パロディに使われている映画が女性に人気のものより少し男臭い映画のほうが多いのでわざとなんじゃないかと思います。特に日本人ならある程度映画オタクじゃないと知らないかも。

家で男女でバービーを見た男たちは「これは2001年宇宙の旅のパロディで………このシーンはバービー人形のライバルの……」などとマンスプレイニングせずにはいられません

そして得意げにゴッドファーザーの解説をし始めるこのシーンで笑えると思います。

 

  • 脱洗脳なのか、洗脳なのか

ハイテンポで「目が覚めた!」という単語が飛び出し、次々と洗脳を解いていくこのシーンなんですが、これ、逆に洗脳しているように見えちゃいます。

グロリアの演説は「現実世界」の女性の生きづらさを表している名演説ではありますが、「映画の現実世界」ではそんな描写が全然ありませんでした。

確かにバービーはセクハラを受けているし、グロリアも秘書なのに受付扱いされていたりそんなに良い扱いではないのは確かです。

しかし映画の現実世界の女性が上記の演説のようなことを言われたりそういう扱いを受ける描写が全くないんです。

映画であればもう少しわかりやすく現実世界の女性が生きづらそうにしている描写があって然るべきではないかと。

現実世界の他の女性が男社会に不満を感じる…そんな描写が全くないので、男性視点からするとグロリアの演説がめちゃくちゃ唐突に感じます。

グロリアの夫はモラハラしそうに見えない優しそうな冴えないオッサンで台詞もなくて家に置いてけぼりなのに。

この場面については出来が悪い!!と評価しても良い気がしますが(実際そういう評価は男女双方から出ているらしい)、この映画は散々ダブルミーニングがされていたのでこの場面もそうじゃないかと思っています。

 

そもそも洗脳を解くためにケンに「教えて〜」と言わばニートラップを仕掛ける、というのはフェミニズム映画としてはしっくり来なくない?

この展開、もし昭和の日本人のオッサンが作ってたら炎上しそうじゃないですか?

この場面はマンスプレイニングを批判しつつも「こんなふうに男に取り入ろうとする女いるよね」と言っているような気がしてくる。

 

思い返すと"洗脳"とあるがケンがどんな方法で洗脳したのかは謎なんです。バービーたちは一部記憶喪失気味ではあるが自分の意思で大統領よりこっちのほうが楽しいとも言ってる。

だからバービー陣営のほうが逆に洗脳をしているように見えてしまいます。

 

やたらと「目が覚めた!」という単語が出てくるのも気になります。

「woke(目が覚めた)」とは人種差別や男女差別などの社会問題に高い関心がある人や状態を指すスラングでもあります。

ですが今は右派が左派に対して蔑称として使う場合がほとんどです。日本語にすれば"意識高い系"とかそんな感じです。

このことを映画製作陣が知らないわけがない。

 

「現実世界の女性差別の描写が不足」

「"ハニートラップ"という低俗な手法」

「やたらと目が覚めた!とハイテンポに洗脳が解除されていくが洗脳をされた描写はない」

 

やっぱり「woke」を皮肉的に使っているように見えます。少なくとも右派が見ればそう感じると思います。このシーンは本当にテコンダー朴を見ているようだった。

過激なフェミニストは男性の味方をする女性のことを男社会に洗脳されている!と言うこともありますし。

 

このシーンが本当に皮肉でないとするならちょっと描写不足だと思います。

で、思い出すのが映画の最初の方に「女性は感情的になりながらも論理的に話すことできる」とわざわざ言うシーンがあったことです。

台詞じゃなくてアクションで示すべきだと思うのですがそんな描写はなく口で言うだけ。そしてグロリアの演説も描写が不足していて台詞だけ。

フェミニズム映画ならもっと女性が迫害されている例を全面に出しても良かったのでは?と思わずにはいられません。

もしかして保守層や男性への配慮で削られてしまったシーンがあるのか?それとも本当にテコンダー朴なのか?

 

  • ケンの投票を妨害するバービー

そしてバービーたちはケンダムを設立する憲法改正を阻止すべくケンを投票所に来させないように動きます。

その方法は…バービーたちを巡ってケンとケンを争わせる!という方法。やっぱりハニトラじゃねえか!

バービーはケンと仲良くしながらも別のケンにもなびく素振りを見せる演技をしてケン同士で争わせることに成功します。

次の日、国民投票の日にケンたちは"戦争"をやります。戦争と言いますが特に兵器も使わなければ殴り合いもしません。普通の喧嘩です。まあ人形の世界ですし。

最終的にどちらがより優れた肉体美なのかを争っているようなルールでした。(このシーンあまりにもカオスでよくわからなかった、何か元ネタがあるのかもしれない)

そうこうしているうちにケンたちは投票時間が過ぎていることに気が付きます。

こうして無事にケンダムはバービーランドに戻りましためでたしめでたし……?でも定番バービー一人だけはちょっと浮かない顔です。

 

このシーン、国境に壁を作る人たちが選挙に負ける、アンフェアなやり方で………まさか大統領選挙のことなのか?と考えなくもないです。

メディアはトランプを締め出そうとしましたし、SNSが凍結されるなどアンフェアな部分はあったと感じますが………

まさか映画バービーでそんな社会風刺はさすがにないかな………と思うんですけど、「ケンの投票行動を妨害しよう!」という展開はしっくり来ず、こういう深読みをせざるを得ない。

 

それでもケン、そしてケンたちは自分たちを認めて欲しいと主張します。自分は恋人でもない何者でもない"バービー&"ケン……そんな悩みを定番バービーに打ち明けます。

定番バービーは「ケンはケン。そのままでいい。何者かの存在に依存しなくて良い」とケンに言います。

そしてケンはバービーにキスを……しようとしたところでバービーに「それは違うんじゃないかな」、と拒否。

ここでキスしてしまえば「バービーはバービー、ケンはケン」という一番のテーマが崩れてしまいますから。だからバービーは「嫌だ」ではなく「違う」と言ったんだと思います。

 

そしてバービーたちもケンたちを認め合うようになり一部は結ばれたようです(元ネタがわからないのでこのバービーとケンに恋人という設定があったのかどうかわからないけど)

あるケンは「自分も最高裁判事になりたい!」と主張しますがバービーは「いきなりはダメ、まずは地方裁判所から」と言います。

…なんだかこれもフェミニストへの風刺のように感じますね。

フェミニストは権力者の数を同数にしろと言いますが、下積みをきちんとしないで女性というだけで採用された能力の劣る人がなってしまうのはよくないことです。

ケンが最高裁判事になりたいと言ってもいきなりそのポストを用意しなかったのはこういう意味があったんじゃないかなと解釈します。

 

 

  • "善悪の区別"がつくようになったバービーは人間界へ

そうこうしているとマテル社の重役たちが現れます。こいつらこれまでずっと何してたんだ………とツッコむところ?

それに加えバービーが現実世界で「美しい」と言った老婆も登場します。

彼女はルース・ハンドラー、バービーの生みの親。乳がんで乳房の切除をしたり脱税、証券偽装で捕まったりした経験があります。

マテル社のCEOからは幽霊と言われますが、おそらくすでに亡くなっていることを指しているのでしょう。

バービーという名は自分の娘のバーバラからきているらしい。

人間は完璧じゃない、病気になるし間違いもするけど美しいよね、と定番バービーに言います。

乳がんの部分はまさにポリコレ的な話だけど脱税は笑うところか?)

そして定番バービーは創造主に導かれ人間界へ……

 

最後のエンディング、人間界へ来てしばらくした定番バービーはグロリアの運転する車に乗ってある場所へ行きます。

グロリアは頑張って!と送り出し、グロリアの夫から「Si se puede」と言われます。

これはスペイン語アメリカの農業の労働組合の標語で「やればできる」。言い出したのはメキシコ系アメリカ人の方。英語にすればYeswecanです。

(ちなみに夫のスペイン語の発言は字幕がありません、どういうことなんだ……)

サーシャからは「それは文化盗用」なんて言われるんですが、グロリアの夫は白人男性なのでメキシコ系アメリカ人の用いた標語を使うのは文化盗用って意味なんだと思います。

まあだからって深い意味はなく"現代風なツッコミ"でしょう。

そんな親子漫才を受けながら定番バービーはその場所の受付に行き、こう言います。

「バーバラ・ハンドラーです。婦人科を受診しに来ました!」

 

こうして映画バービーは幕を閉じます。

最後の人間界へ行くところは失楽園が元ネタです。まあ洋画ではよくある定番ネタですね。

ただちょっと違うのはバービーは人間界へ自分の意思で人間界へ行くことになっているところ。

定番バービーは「知恵の実を食べ善悪の区別がつくようになったから」人間界へ行くことを決めた、と思うことにします。

ケンたちを投票に来させないようにしたこと、ケンが唆されて投票をすっぽかしたとは言え、それはアンフェアなやり方でした。

国民投票が終わってみんなが喜ぶ中、定番バービーだけはちょっと浮かない顔をしていたのは悪いことをしたと思ったからでしょう。

(この映画は一連の行為を全肯定していない、だからこそ途中のケンの洗脳を解くシーンも全肯定しているように見えないんですよね)

知恵の実に相当するものが何かはわかりませんが、この状態ではもうバービーランドにはいられないってことですね。

そして元々「性器がない」はずのバービーが婦人科に来たということは性器を持つ人間になったという意味でしょう。

バービーではなくバーバラ・ハンドラーと名乗ったのもバービーではなくなったことを示していると思います。

監督はこのシーンに対して「思春期、成長期には自分の体が嫌いになるかもしれないけど女性なら普通のことだよ」と言っているので生理関連かなと思いましたが、

頑張って!やればできる!と送り出されているのでブライダルチェックのような気もします。

いずれにしても失楽園では"苦しみながら子供を産む罰"を与えられるので」妊娠の隠喩であると思います。

 

  • 冒頭の赤ちゃん人形の破壊からエンディングの婦人科へ

映画バービーは赤ちゃんの人形を破壊するところから始まり、婦人科を受診するところで終わります。

赤ちゃんの人形を破壊しバービーで遊び、そんな子供も大人になって赤ちゃんを産む……そんな感じにも見えます。

ただどうもフェミニストを見ているとバービーが妊娠した説をとにかく否定したがる人が多いように思います。

"妊娠した"かはともかく(僕もあの段階ではしていないと思う)、"妊娠し得る体になった"と受け取るのは元ネタの失楽園のストーリーからも自然ですが。

監督がいくら妊娠と直接言わなくても失楽園の内容からそう捉えられることをわかっていないはずがないんです。

この映画がフェミニズムに対しても挑戦的な立場をとっているのだとしたら、冒頭の赤ちゃん人形の破壊とラストシーンは反出生主義への批判にも見えます。

冒頭のバービーランドでいきなり廃番になった妊婦のバービーを紹介するのはそういう意図もあったのでは。

だから「アンチフェミニズム映画だった」「アメリカの保守層も泣いた」わけですね。映画を見ると解釈次第でそうなるのがよくわかります。

 

 

  • ジニックス的にはアンチポリコレ映画

冷やかしで見に行った映画バービーですが、ホント考察すればするほど沼にハマっていってしまいます。

どこからどうみてもフェミニズム万歳!ポリコレ万歳!みたいな顔してるじゃないですかこの映画は。

めちゃくちゃ説教臭くフェミニズムの大切さを言ってきそうじゃん。

それなのに蓋を開けてみれば昔のクレヨンしんちゃん、テコンダー朴、サウスパーク……そんな例え方をされるものとは驚きでした。

素でやってる説もありますが、工事現場のシーンなんてアンチフェミニズムを知らなければ作れないでしょ。

まさかそれすらも皮肉でアンチフェミニズムがバカにされているのか?

あらゆるシーンで複数の解釈ができてしまう。少なくとも僕のような人が見たらひたすら現代のフェミニズムを皮肉ってバカにしているように見えます。

でもそのぶん僕のような人だと見逃してしまう描写が多数ありそうなんですよね。アンチフェミニズムが痛烈に批判されている描写が。

ホント見たいものを見せてくる、怖い映画です。

 

アンチフェミニズムというよりはアンチポリコレ色が強いかなと思います、その理由は廃番になったバービーがやたらと登場するところです。

廃番になったのは人気がなかったからという理由のバービーもいますが、妊婦のバービーは未成年の妊娠を増長させるとして廃番になったそうです。

昨今ポリコレ配慮によって削除改変されることもしばしば……でもそこまでしなくても良くない?というのがマテル社の主張だったりして。

「脱税しちゃったけど人間は美しい」というのも罪を犯した人をすぐ社会的に抹殺するのは良くないという意味にも見えます。

数々のブラックジョークもポリコレへの挑戦的な意味もなくもないような?

監督のインタビューとかいろいろ見てるんですけどホントか?みたいなことも言っていて何も信用できない。

他にもいろいろ気になることはあったけどもう書ききれないし覚えていられない……もう一度観に行こうかな。

映画バービーがまさかこんな映画だったなんて!ととてつもない衝撃を受けました。

 

 

  • 映画の感想

ひたすら考察をしてしまいましたが、映画自体も良かったんじゃないかなと。

「"バービー&"ケン」という扱われ方とアイデンティティに悩むケン、ケンの心の叫びの歌は素直に共感できる人が多いと思います。

また"定番バービー"だからこその自分には何もないという悩み。「定番(stereotype)バービー」という呼称に監督がこだわった意味がわかります。

そして「綺麗になれなくても、憧れの職業につけなくても、母親になってもならなくても、それでもいいんだよ」と、

こんな"お決まりの展開"ですが、バービーでやるからこその意味の深さを感じられると思います。

 

ただやっぱりケンダムからバービーランドを取り戻す展開は、単なる描写不足のような展開に見えてしまいます。

裏の裏があるのかそれとも描写不足なのか…

それとも文化圏の違いからイマイチ理解できていないのか。

 

 

  • 日本でバービーがヒットしない理由

なんか原爆ネットミームのせいとか、フェミニズムが遅れているからだとか言われていますが、そんなことは関係ありません。見ればわかる。

まずバービーの人気がそれほどないこと、日本ではリカちゃん人形ですから。

それからマニアックなパロディやアメリカ的なブラックジョークが多くてどこで笑えばいいのかわかりにくいこと。

これじゃあマンスプレイニング好きのオタクにしか刺さらないよ、僕は何回バービーの元ネタ考察を調べたりしたことか(笑)

字幕や吹き替えでは正確なニュアンスを伝えきれないというのもあります。コメディ映画にとって言語の違いは一番の障壁です。

 

  • ラストシーンは日本人向けではない気がする

フェミニストがバービー妊娠説を強く否定するのは本当のところはこれが理由なんじゃないかとも思います。

「最後にバービーがバービーでなくなるという展開」「失楽園が子供から大人になることを示しているする説」「監督のラストシーンに対する発言」を考えると、

「バービー人形で遊んだ子供もバービーを卒業して大人になる時が来る」

というストーリーにも見えます。だからバービー役もケン役も設定年齢からかなり上の役者が演じているんです。

日本人の感覚だとそれはちょっと違うような気がしませんか?

バービーランドは理想郷でいてほしいし、バービーにはいつまででもバービーでいてほしいし、大人がバービーで遊んだっていいじゃない。

日本人の考えるバービーのラストは、

何人かのケンが説得でバービー側に寝返り正当な投票でバービーが選挙に勝ち、

それでもケンの意見を聞き入れお互い仲良くバービーランドで暮らし、

後日談でマテル社の重役に女性が配置され、

バービーの持ち主親子が定番バービー人形を家に飾って人形がウインク

これだと思います。

でもこの映画は聖書を元にした洋画、バービーランドはディストピアだし、バービーはバービーを卒業して人間になるし、現実世界の男社会がどうなったのかどうかもわからない。。。

ハッピーエンドとは違います。だから口コミでも広まらない。

バービーが妊娠をする、ということを受け入れられない感覚もわからなくもないんです。僕もバービーはバービーのままでいてほしい。

 

ドラクエ5の世界は実在していてほしいじゃないですか。でもこの映画は丁寧で感動できる「ユアストーリー」でした。